2009年5月27日水曜日

産経抄に思う

年を取るにつれて、睡眠時間の少なさがきつくなる。


だからここ一、二年はまず、眠い時に寝るという、私には苦手な習慣を身に付けようと、疲れて帰ったら早めに寝るようにしている。


20代は昼寝と早寝には罪の意識が強かったが、それも体力あってこそで、最近は2時間立ちっぱなしの講義を毎日連続でやっていて、声も枯れるし、やや疲れを感じるようになった。


もっとも、マラソンや柔道で鍛えてきただけに、学生に体力で負けるつもりは全然ないが、睡眠の浅さは講義中のアドリブに響く。


ということで、早く寝るのだが、家の近くは暴走族がたまに大音響で走り、この付近は高層マンションが多いので、音が反響してすごい。


だから、時折、夜中に目が覚める。


そんな時はPCを立ち上げて、ちょこちょこと作業をし、また寝る。


そして、3時半を過ぎていたら、「産経抄」を必ず読む。


時折「外したな」と思うこともあるが、このコラムは先代の石井論説委員の頃から好きなコラムで、導入からどう展開していくかが楽しみだ。


産経は大新聞の中にあって部数は少ないが、論調がはっきりしていて好ましい。


私が特に気に入っているのは「昭和正論座」で、私が昔から好きだった論客の懐かしいエッセイ、知らないエッセイがあって、彼らの先見性に驚く。


『昭和正論座』



しかし、今日の話題は産経抄だ。


産経抄には、小泉信三や福田恒存といった名前が数年に一度、出る。


「文化委員の私の一冊」などは「昭和の精神史」などを紹介していて、ひそかに嬉しかった。


学生たちに毎年、近現代史勉強会で紹介している作品、作家が出ると、こんな新聞の存在が嬉しくなる。


さて、今朝の最新の産経抄には、清水幾太郎の名が出ていた。



つい先日、近現代で「戦後を疑う」を読み、その時に「日本よ国家たれ」を少し紹介したばかりだった。


本コラムは最後に「昭和は遠くなりにけり」と結んでいるが、私もどちらかというと、そう感じることもある。


まだ33歳なのだが、最近の論客よりは清水幾太郎、福田恒存、小泉信三、竹山道雄、田中耕太郎…という名前に親近感を覚える。


きっと、時代錯誤なのだろう。


しかし、私は新しいものばかり追い続けるのが、本当の時代錯誤だと思うし、時流に迎合して永続性を持ち得ない論説も、ある意味時代錯誤だと思う。


絶版となってしまった作品の、魂を込めた評論を読むと、今は何度も読むに堪える評論や、時事問題を扱いながら時代を超越した「古典」的な評論が少ないのが退屈だ。


何より、「評論家」という職業が軽視されているのは、物事を早く、浅く、手短に分かろうとする風潮の悪弊だろう。


評論を軽視する風潮自体、評論という言葉を評論できていないという証拠だ。


私は経営者なので、ITや経営手法の最新事情にも興味があるが、それらは手段に過ぎない。


学生たちとは、いずれ幹を支える根っこの部分をしっかりと勉強していきたい。

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