今日は夕方から隈本さんと二人で「海釣り塾」。
釣れに釣れた。
明日の営業塾では、満足な報告ができそうだ。
今日、もし、平島君が一緒にいたら、時間を忘れて釣りまくっていただろう。
…が、平島君は今、骨折中だ。去年は竿、今年は手首。
早く良くなってもらって、またみんなで釣りに行きたいものだ。
2009年5月28日木曜日
内定者インタビュー(損害保険)
ビデオ2台で切り替えを使ってみた。
なかなか大変だが、今後も練習して、臨場感を出す工夫を考えたい。
アングルは山岡君が研究しているようなので、山岡君の内定後は、一緒に動画の勉強をしたいものだ。
こちらは昨日収録された原さんのインタビュー。
原さんのおっとりした包容感は、損保にぴったりだ。
■mai room No.2 【損害保険】 (1/2)
■mai room No.2 【損害保険】 (2/2)
こちらはトップバッターの上村君。
この素直さと思い切りの良さを、会社の人は評価したのだろう。
原さんと上村君、どちらもしっかりと自分という人間を持っている若者だ。
■mai room No.1 【生命保険】 (1/3)
■mai room No.1 【生命保険】 (2/3)
■mai room No.1 【生命保険】 (3/3)
なかなか大変だが、今後も練習して、臨場感を出す工夫を考えたい。
アングルは山岡君が研究しているようなので、山岡君の内定後は、一緒に動画の勉強をしたいものだ。
こちらは昨日収録された原さんのインタビュー。
原さんのおっとりした包容感は、損保にぴったりだ。
■mai room No.2 【損害保険】 (1/2)
■mai room No.2 【損害保険】 (2/2)
こちらはトップバッターの上村君。
この素直さと思い切りの良さを、会社の人は評価したのだろう。
原さんと上村君、どちらもしっかりと自分という人間を持っている若者だ。
■mai room No.1 【生命保険】 (1/3)
■mai room No.1 【生命保険】 (2/3)
■mai room No.1 【生命保険】 (3/3)
2009年5月27日水曜日
産経抄に思う
年を取るにつれて、睡眠時間の少なさがきつくなる。
だからここ一、二年はまず、眠い時に寝るという、私には苦手な習慣を身に付けようと、疲れて帰ったら早めに寝るようにしている。
20代は昼寝と早寝には罪の意識が強かったが、それも体力あってこそで、最近は2時間立ちっぱなしの講義を毎日連続でやっていて、声も枯れるし、やや疲れを感じるようになった。
もっとも、マラソンや柔道で鍛えてきただけに、学生に体力で負けるつもりは全然ないが、睡眠の浅さは講義中のアドリブに響く。
ということで、早く寝るのだが、家の近くは暴走族がたまに大音響で走り、この付近は高層マンションが多いので、音が反響してすごい。
だから、時折、夜中に目が覚める。
そんな時はPCを立ち上げて、ちょこちょこと作業をし、また寝る。
そして、3時半を過ぎていたら、「産経抄」を必ず読む。
時折「外したな」と思うこともあるが、このコラムは先代の石井論説委員の頃から好きなコラムで、導入からどう展開していくかが楽しみだ。
産経は大新聞の中にあって部数は少ないが、論調がはっきりしていて好ましい。
私が特に気に入っているのは「昭和正論座」で、私が昔から好きだった論客の懐かしいエッセイ、知らないエッセイがあって、彼らの先見性に驚く。
『昭和正論座』
しかし、今日の話題は産経抄だ。
産経抄には、小泉信三や福田恒存といった名前が数年に一度、出る。
「文化委員の私の一冊」などは「昭和の精神史」などを紹介していて、ひそかに嬉しかった。
学生たちに毎年、近現代史勉強会で紹介している作品、作家が出ると、こんな新聞の存在が嬉しくなる。
さて、今朝の最新の産経抄には、清水幾太郎の名が出ていた。
つい先日、近現代で「戦後を疑う」を読み、その時に「日本よ国家たれ」を少し紹介したばかりだった。
本コラムは最後に「昭和は遠くなりにけり」と結んでいるが、私もどちらかというと、そう感じることもある。
まだ33歳なのだが、最近の論客よりは清水幾太郎、福田恒存、小泉信三、竹山道雄、田中耕太郎…という名前に親近感を覚える。
きっと、時代錯誤なのだろう。
しかし、私は新しいものばかり追い続けるのが、本当の時代錯誤だと思うし、時流に迎合して永続性を持ち得ない論説も、ある意味時代錯誤だと思う。
絶版となってしまった作品の、魂を込めた評論を読むと、今は何度も読むに堪える評論や、時事問題を扱いながら時代を超越した「古典」的な評論が少ないのが退屈だ。
何より、「評論家」という職業が軽視されているのは、物事を早く、浅く、手短に分かろうとする風潮の悪弊だろう。
評論を軽視する風潮自体、評論という言葉を評論できていないという証拠だ。
私は経営者なので、ITや経営手法の最新事情にも興味があるが、それらは手段に過ぎない。
学生たちとは、いずれ幹を支える根っこの部分をしっかりと勉強していきたい。
だからここ一、二年はまず、眠い時に寝るという、私には苦手な習慣を身に付けようと、疲れて帰ったら早めに寝るようにしている。
20代は昼寝と早寝には罪の意識が強かったが、それも体力あってこそで、最近は2時間立ちっぱなしの講義を毎日連続でやっていて、声も枯れるし、やや疲れを感じるようになった。
もっとも、マラソンや柔道で鍛えてきただけに、学生に体力で負けるつもりは全然ないが、睡眠の浅さは講義中のアドリブに響く。
ということで、早く寝るのだが、家の近くは暴走族がたまに大音響で走り、この付近は高層マンションが多いので、音が反響してすごい。
だから、時折、夜中に目が覚める。
そんな時はPCを立ち上げて、ちょこちょこと作業をし、また寝る。
そして、3時半を過ぎていたら、「産経抄」を必ず読む。
時折「外したな」と思うこともあるが、このコラムは先代の石井論説委員の頃から好きなコラムで、導入からどう展開していくかが楽しみだ。
産経は大新聞の中にあって部数は少ないが、論調がはっきりしていて好ましい。
私が特に気に入っているのは「昭和正論座」で、私が昔から好きだった論客の懐かしいエッセイ、知らないエッセイがあって、彼らの先見性に驚く。
『昭和正論座』
しかし、今日の話題は産経抄だ。
産経抄には、小泉信三や福田恒存といった名前が数年に一度、出る。
「文化委員の私の一冊」などは「昭和の精神史」などを紹介していて、ひそかに嬉しかった。
学生たちに毎年、近現代史勉強会で紹介している作品、作家が出ると、こんな新聞の存在が嬉しくなる。
さて、今朝の最新の産経抄には、清水幾太郎の名が出ていた。
つい先日、近現代で「戦後を疑う」を読み、その時に「日本よ国家たれ」を少し紹介したばかりだった。
本コラムは最後に「昭和は遠くなりにけり」と結んでいるが、私もどちらかというと、そう感じることもある。
まだ33歳なのだが、最近の論客よりは清水幾太郎、福田恒存、小泉信三、竹山道雄、田中耕太郎…という名前に親近感を覚える。
きっと、時代錯誤なのだろう。
しかし、私は新しいものばかり追い続けるのが、本当の時代錯誤だと思うし、時流に迎合して永続性を持ち得ない論説も、ある意味時代錯誤だと思う。
絶版となってしまった作品の、魂を込めた評論を読むと、今は何度も読むに堪える評論や、時事問題を扱いながら時代を超越した「古典」的な評論が少ないのが退屈だ。
何より、「評論家」という職業が軽視されているのは、物事を早く、浅く、手短に分かろうとする風潮の悪弊だろう。
評論を軽視する風潮自体、評論という言葉を評論できていないという証拠だ。
私は経営者なので、ITや経営手法の最新事情にも興味があるが、それらは手段に過ぎない。
学生たちとは、いずれ幹を支える根っこの部分をしっかりと勉強していきたい。
2009年5月26日火曜日
FUN名著リスト
FUNでは一体、何冊の本を紹介してきたのだろうか。
最近はmai placeの新HPリニューアル作業の準備で、PCのデータの大規模な整理・統合を行っているので、色々と懐かしい資料が出てくる。
その中で次々に出てくるのが、未発表のレジュメやメルマガに加え、過去に紹介した本のデータだ。
私は株式投資のように古本を買い集めてきたから、自宅には大学教授の何倍もの蔵書がある。
その全てを紹介できるわけではないが、縁あって学生と出会ってからは、学生に読んでほしい本は、惜しまず紹介してきた。
様々な形式で紹介してきたが、今後の分かりやすいDB化のためにも、一通りのリストを作ってみようと、先週、作業の空き時間にコツコツと作ってみた。
その数、なんと…1,247冊。
やや重複もあるから若干少なくはなるだろうが、とても4年で読める量ではないだろう。
しかし、人によって興味も違うので、古本を探す一つの手がかりとしては、役立つと思った。
そこで、FUNの学生にこのリストをプレゼントすることにした。
大月さんに頼んでメールを配信してもらうと、週末に早速数名から応募が来た。
嬉しいことだ。
いずれ全てに写真を付け、さらに詳細な分類を加えて、FUNとmpのHPに掲載したい。
今週は、卒業生にも送ろう。
最近はmai placeの新HPリニューアル作業の準備で、PCのデータの大規模な整理・統合を行っているので、色々と懐かしい資料が出てくる。
その中で次々に出てくるのが、未発表のレジュメやメルマガに加え、過去に紹介した本のデータだ。
私は株式投資のように古本を買い集めてきたから、自宅には大学教授の何倍もの蔵書がある。
その全てを紹介できるわけではないが、縁あって学生と出会ってからは、学生に読んでほしい本は、惜しまず紹介してきた。
様々な形式で紹介してきたが、今後の分かりやすいDB化のためにも、一通りのリストを作ってみようと、先週、作業の空き時間にコツコツと作ってみた。
その数、なんと…1,247冊。
やや重複もあるから若干少なくはなるだろうが、とても4年で読める量ではないだろう。
しかし、人によって興味も違うので、古本を探す一つの手がかりとしては、役立つと思った。
そこで、FUNの学生にこのリストをプレゼントすることにした。
大月さんに頼んでメールを配信してもらうと、週末に早速数名から応募が来た。
嬉しいことだ。
いずれ全てに写真を付け、さらに詳細な分類を加えて、FUNとmpのHPに掲載したい。
今週は、卒業生にも送ろう。
2009年5月25日月曜日
2009年5月24日日曜日
指揮者
昨日のFUNゼミ「名作塾」では、「自分の感性を信じること」について話した。
ちょっと再現してみれば…
~若い頃には自分の好きなものを好きと信じ抜くことができず、周囲の人たちが好きなものを好きになれないと葛藤を抱くこともあるだろう。
また、周囲の人たちが好きでないものを好きである自分の孤独に耐えかねる時もあるだろう。
孤独に耐えかねるあまり、人が好きなものに無理して合わせようとして、自分を偽ることもあるかもしれない。
しかし、本当の感性はそうして孤独に耐え抜き、好きなものを好きと感じ続けることから生まれるのではないか。
このFUNにも、自分ではずっとそれが好きだが、それをなかなか人に言えない思いに苦しんできた学生がいるかもしれない。
だが、FUNは好きなものを好きと信じ、話し、共感しあえるサークルにしよう。~
これだけではないが、まぁ、こんな感じのことを話した。
終了後、最近入部したばかりの金山君がつかつかと歩み寄ってきた。
どうしても、言いたいことがあるような表情だ。
金山 「僕、高校の時からずっとクラシックが好きなんです。中でも、オーケストラの指揮者が大好きなんです」
私 「へぇ、それは素晴らしい。指揮者っていうと、フルトヴェングラーとか?」
金山 「フルトヴェングラー!?知ってるんですか!…僕、ずっとクラシックを聞いてて、高校の時、それを友達に言っても、何の興味も示されませんでした。
大学に入って、クラシック愛好会なんかを探したけど何もなくて、いつもヨドバシカメラや天神のレコード店で名盤を聴いてるんです。」
これから、金山君は堰を切ったように、クラシックへの愛情と強い思いを40分近く語り出した。
目は生き生きと輝き、山田さんと大月さんと一緒に聞いていたのだが、本当に、心からクラシックと指揮者を愛しているという気持ちが伝わってきて、本当に嬉しそうだった。
大月さんは最近、テレビでカルロス・クライバーの番組を見て、「指揮者ってすごい!」と感動していた。
私は父の影響でフルトヴェングラーやカラヤンが好きだが、金山君の知識はとても豊富で、詳しい話にはついていけなかったが、芸術的感性は通じるものを感じて、とても嬉しくなった。
それは、私がひそかに好きなクラシックを好きな学生に出会えた喜びというよりも、ずっと好きなものを抱き続け、一人コツコツと愛情を育てている若者にまた一人出会えた喜びだった。
私は五歳の誕生日に、父から指揮棒をプレゼントされた。
父は九州交響楽団に所属していて、仕事そっちのけでオペラやクラシックにはまりこんでいた。
子供の頃から、私は父の膝の上で、音楽を聴きながら、チャイコフスキーやシューベルトの伝記をずっと話してもらった。
ベートーベン、ブラームス、モーツァルト、バッハ…延々と、何日間も聴き続けた。
父は息子の私に何かを託すように、ずっとずっとクラシックを聴かせ続けた。
軽くウィスキーを飲んでレコード盤に向かう時の父は、子供の私にも、本当に幸せそうに見えたものだ。
父は指揮棒(タクト)を何本か持っていたが、感情が高ぶってくると、目をつぶってタクトを振り、完全に一人の世界に入って酩酊状態となっていった。
「大きくなったら、指揮者になってほしい」。
「音楽家は、全てを手に入れることができるんだ」。
父の口癖だった。
母はシャンソンやカンツォーネが好きだったから、シャルル・トレネやリュシェンヌ・ボワイエ、アダモ、ジルベール・ベコー、エディット・ピアフや、ディ・ステファノをずっと聴かせてくれた。
私の母はピアニスト兼バイオリニストだから、リストやショパンなどは、何百回聞いたか分からない。
私の携帯の着メロは、あまり鳴らさないが、リストの「愛の夢」だ。
五歳の誕生日に指揮棒をもらった私は、もちろん、それがあまり嬉しくなかった。
四歳の弟は「プラレール」だったからだ。
ちなみに、私が四歳の時の誕生日プレゼントは「鳩時計」だった。
天神で鳩が飛び出してくる時計を見て、店で時計をひっくり返してあれこれ眺め続けた私を覚えてくれていた父が、贈ってくれたのだ。
もちろん、それも嬉しくなかった。
時計にしろタクトにしろ、4、5歳の子供には何の魅力も実用性もなく、「えぇ?」と思ったものである。
その意味が分かってきたのは、中学生の時くらいだ。
タクトは父の形見だから、私はその意味をずっと考え続けた。
「大きくなったら、指揮者になってほしい」。
もちろん、私には楽器を演奏する技術などない。
中学まではピアノを弾いていたが、それとて本格的なものではなく営業用で、高校から大学にかけてはギターをやったが、クラシカルロック中心だ。
私は音楽よりも、当時はゲーム、そして戯曲が好きだった。
といっても、大衆的な人気作ではなく、クラシカルなゲームやスペースオペラ風のRPGで、ゲームが好きな人でも、あまり知らないような作品ばかりだ。
ゲームそのものよりも、ゲームの世界観やシナリオ、音楽が好きで、特にファルコムの「イース」シリーズが好きだった。
ずっとその音楽をつけっぱなしにしていて、母が「もう煉らんと?」と部屋に来た。
「いや、音楽聴いてただけ」。
母はちょっと驚いて、「へぇ、シュトラウス風やね」と言った。
わが家はこんな会話が日常的だったから、これは母の普通の返事だったが、私もそれに驚いて、「へぇ、これはシュトラウス風なのか…言われてみれば、皇帝円舞曲っぽいな」などと思ったりした。
ファルコムだけでなく、セガやタイトーも、ほかにはエニックスやスクウェアも、社内楽団を持っている。
そのアーティストたちは、「たかがゲーム音楽」だが、本当に幸せそうにゲームの世界観に浸っていた。
市販用ゲームではFM音源やビープ音、MIDI音源だけだが、楽団ではあらゆる楽器を使える。
そこに彼らが本当に表現したい世界があった。
クラシックのように高尚で優雅ではないが、当時の私には、そんな人たちが本当にいい仕事をしていると思えたものだ。
世間には知られず、マニア扱いされているが、この人たちは自分のやっている仕事が何なのかを分かっているのだろうと好ましかった。
私は「会計塾」でいつも話しているように、企業経営者も指揮者だと思っている。
経営資源や仲間の力を組み合わせて引き出し、社会に壮大なビジネス・オーケストラを奏でるのが社長の仕事だ。
私はそういうふうに考えているから、レジュメを作るときは、その世界観を作るインスピレーションを得ようと、よくクラシックやその他の音楽を聴く。
講義もオーケストラのようなものだと思っている。
講義のテーマは様々だが、私は私の世界観を表現し、ここに一人でも多くの観客を呼び込んで、観客から演奏者に変えていきたい。
楽曲の題目は仕事、就職、人生、学問、事業、経営などといったもので、私はその指揮者だ。
こういう形ではあるが、私も少しだけ父の遺志を実現できているようで、ひそかにそれが心の支えである。
だから、昨日、金山君が嬉しそうにクラシックについて語り始めた時は、こんな記憶がじんわりと蘇ってきて、とても愉快だった。
年齢はずいぶん離れてしまったが、金山君も私のように、というより私以上に、クラシック音楽に対する情熱をひそかに保ち続けてきたのだろう。
実に頼もしい若者が入部してくれたものだ。有り難いし、嬉しいことだ。
諌山君や増田君があの場にいたら、きっと、昼食を忘れて語り合っていただろう。
FUNは将来、様々な分野で活躍する未来の指揮者
を育てるサークルだ。
そのために、大工道具ならぬ、感性と知識という自分の楽器を磨き続けている若者がまた一人増えた。
本当に仕合せな時間だった。
■Strauss - Unter Donner und Blitz - Karajan(カラヤン)
■Furtwangler on 4.19.1942 Full edition(フルトヴェングラー)
■Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.1(1)(カルロス・クライバー)
ちょっと再現してみれば…
~若い頃には自分の好きなものを好きと信じ抜くことができず、周囲の人たちが好きなものを好きになれないと葛藤を抱くこともあるだろう。
また、周囲の人たちが好きでないものを好きである自分の孤独に耐えかねる時もあるだろう。
孤独に耐えかねるあまり、人が好きなものに無理して合わせようとして、自分を偽ることもあるかもしれない。
しかし、本当の感性はそうして孤独に耐え抜き、好きなものを好きと感じ続けることから生まれるのではないか。
このFUNにも、自分ではずっとそれが好きだが、それをなかなか人に言えない思いに苦しんできた学生がいるかもしれない。
だが、FUNは好きなものを好きと信じ、話し、共感しあえるサークルにしよう。~
これだけではないが、まぁ、こんな感じのことを話した。
終了後、最近入部したばかりの金山君がつかつかと歩み寄ってきた。
どうしても、言いたいことがあるような表情だ。
金山 「僕、高校の時からずっとクラシックが好きなんです。中でも、オーケストラの指揮者が大好きなんです」
私 「へぇ、それは素晴らしい。指揮者っていうと、フルトヴェングラーとか?」
金山 「フルトヴェングラー!?知ってるんですか!…僕、ずっとクラシックを聞いてて、高校の時、それを友達に言っても、何の興味も示されませんでした。
大学に入って、クラシック愛好会なんかを探したけど何もなくて、いつもヨドバシカメラや天神のレコード店で名盤を聴いてるんです。」
これから、金山君は堰を切ったように、クラシックへの愛情と強い思いを40分近く語り出した。
目は生き生きと輝き、山田さんと大月さんと一緒に聞いていたのだが、本当に、心からクラシックと指揮者を愛しているという気持ちが伝わってきて、本当に嬉しそうだった。
大月さんは最近、テレビでカルロス・クライバーの番組を見て、「指揮者ってすごい!」と感動していた。
私は父の影響でフルトヴェングラーやカラヤンが好きだが、金山君の知識はとても豊富で、詳しい話にはついていけなかったが、芸術的感性は通じるものを感じて、とても嬉しくなった。
それは、私がひそかに好きなクラシックを好きな学生に出会えた喜びというよりも、ずっと好きなものを抱き続け、一人コツコツと愛情を育てている若者にまた一人出会えた喜びだった。
私は五歳の誕生日に、父から指揮棒をプレゼントされた。
父は九州交響楽団に所属していて、仕事そっちのけでオペラやクラシックにはまりこんでいた。
子供の頃から、私は父の膝の上で、音楽を聴きながら、チャイコフスキーやシューベルトの伝記をずっと話してもらった。
ベートーベン、ブラームス、モーツァルト、バッハ…延々と、何日間も聴き続けた。
父は息子の私に何かを託すように、ずっとずっとクラシックを聴かせ続けた。
軽くウィスキーを飲んでレコード盤に向かう時の父は、子供の私にも、本当に幸せそうに見えたものだ。
父は指揮棒(タクト)を何本か持っていたが、感情が高ぶってくると、目をつぶってタクトを振り、完全に一人の世界に入って酩酊状態となっていった。
「大きくなったら、指揮者になってほしい」。
「音楽家は、全てを手に入れることができるんだ」。
父の口癖だった。
母はシャンソンやカンツォーネが好きだったから、シャルル・トレネやリュシェンヌ・ボワイエ、アダモ、ジルベール・ベコー、エディット・ピアフや、ディ・ステファノをずっと聴かせてくれた。
私の母はピアニスト兼バイオリニストだから、リストやショパンなどは、何百回聞いたか分からない。
私の携帯の着メロは、あまり鳴らさないが、リストの「愛の夢」だ。
五歳の誕生日に指揮棒をもらった私は、もちろん、それがあまり嬉しくなかった。
四歳の弟は「プラレール」だったからだ。
ちなみに、私が四歳の時の誕生日プレゼントは「鳩時計」だった。
天神で鳩が飛び出してくる時計を見て、店で時計をひっくり返してあれこれ眺め続けた私を覚えてくれていた父が、贈ってくれたのだ。
もちろん、それも嬉しくなかった。
時計にしろタクトにしろ、4、5歳の子供には何の魅力も実用性もなく、「えぇ?」と思ったものである。
その意味が分かってきたのは、中学生の時くらいだ。
タクトは父の形見だから、私はその意味をずっと考え続けた。
「大きくなったら、指揮者になってほしい」。
もちろん、私には楽器を演奏する技術などない。
中学まではピアノを弾いていたが、それとて本格的なものではなく営業用で、高校から大学にかけてはギターをやったが、クラシカルロック中心だ。
私は音楽よりも、当時はゲーム、そして戯曲が好きだった。
といっても、大衆的な人気作ではなく、クラシカルなゲームやスペースオペラ風のRPGで、ゲームが好きな人でも、あまり知らないような作品ばかりだ。
ゲームそのものよりも、ゲームの世界観やシナリオ、音楽が好きで、特にファルコムの「イース」シリーズが好きだった。
ずっとその音楽をつけっぱなしにしていて、母が「もう煉らんと?」と部屋に来た。
「いや、音楽聴いてただけ」。
母はちょっと驚いて、「へぇ、シュトラウス風やね」と言った。
わが家はこんな会話が日常的だったから、これは母の普通の返事だったが、私もそれに驚いて、「へぇ、これはシュトラウス風なのか…言われてみれば、皇帝円舞曲っぽいな」などと思ったりした。
ファルコムだけでなく、セガやタイトーも、ほかにはエニックスやスクウェアも、社内楽団を持っている。
そのアーティストたちは、「たかがゲーム音楽」だが、本当に幸せそうにゲームの世界観に浸っていた。
市販用ゲームではFM音源やビープ音、MIDI音源だけだが、楽団ではあらゆる楽器を使える。
そこに彼らが本当に表現したい世界があった。
クラシックのように高尚で優雅ではないが、当時の私には、そんな人たちが本当にいい仕事をしていると思えたものだ。
世間には知られず、マニア扱いされているが、この人たちは自分のやっている仕事が何なのかを分かっているのだろうと好ましかった。
私は「会計塾」でいつも話しているように、企業経営者も指揮者だと思っている。
経営資源や仲間の力を組み合わせて引き出し、社会に壮大なビジネス・オーケストラを奏でるのが社長の仕事だ。
私はそういうふうに考えているから、レジュメを作るときは、その世界観を作るインスピレーションを得ようと、よくクラシックやその他の音楽を聴く。
講義もオーケストラのようなものだと思っている。
講義のテーマは様々だが、私は私の世界観を表現し、ここに一人でも多くの観客を呼び込んで、観客から演奏者に変えていきたい。
楽曲の題目は仕事、就職、人生、学問、事業、経営などといったもので、私はその指揮者だ。
こういう形ではあるが、私も少しだけ父の遺志を実現できているようで、ひそかにそれが心の支えである。
だから、昨日、金山君が嬉しそうにクラシックについて語り始めた時は、こんな記憶がじんわりと蘇ってきて、とても愉快だった。
年齢はずいぶん離れてしまったが、金山君も私のように、というより私以上に、クラシック音楽に対する情熱をひそかに保ち続けてきたのだろう。
実に頼もしい若者が入部してくれたものだ。有り難いし、嬉しいことだ。
諌山君や増田君があの場にいたら、きっと、昼食を忘れて語り合っていただろう。
FUNは将来、様々な分野で活躍する未来の指揮者
を育てるサークルだ。
そのために、大工道具ならぬ、感性と知識という自分の楽器を磨き続けている若者がまた一人増えた。
本当に仕合せな時間だった。
■Strauss - Unter Donner und Blitz - Karajan(カラヤン)
■Furtwangler on 4.19.1942 Full edition(フルトヴェングラー)
■Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.1(1)(カルロス・クライバー)
2009年5月22日金曜日
大月舞のビジネスモデル塾
大月さんも最近、Video Studioを練習中だ。
自分で自分の映像を編集するのは照れくさいかもしれないが、スピーチの練習にもなると思って、毎週コツコツ作っているようだ。
こちらは先週の「デル」。
秋の就活コース2011開始時には、約30本のビジネスモデル塾がアップされている予定だ。
■ビジネスモデル塾③「ダイレクトモデル」(1/3)
■ビジネスモデル塾③「ダイレクトモデル」(2/3)
■ビジネスモデル塾③「ダイレクトモデル」(3/3)
デルのオンラインショッピングを体験してみたいと思ったら、こちらを見てみてほしい。
自分で自分の映像を編集するのは照れくさいかもしれないが、スピーチの練習にもなると思って、毎週コツコツ作っているようだ。
こちらは先週の「デル」。
秋の就活コース2011開始時には、約30本のビジネスモデル塾がアップされている予定だ。
■ビジネスモデル塾③「ダイレクトモデル」(1/3)
■ビジネスモデル塾③「ダイレクトモデル」(2/3)
■ビジネスモデル塾③「ダイレクトモデル」(3/3)
デルのオンラインショッピングを体験してみたいと思ったら、こちらを見てみてほしい。
2009年5月21日木曜日
ドトールの思い出
今日の近現代は西南で開催された。
ちょっと早く西新に着いて、庵道珈琲に行った。
実は、ドトールが閉店したことを忘れてそのままドトール方面に自然に歩いたのだったが、行ってみて、「そっか、閉店したんだっけ」と改めて思い出した。
あれだけ長く、何度も通ったお店だっただけに、体が勝手にドトールに向かったようである。
旧西新ドトールで最後にやったBCでは、永井君と同じ班だった。
そこで塾の面白い体験談を聞いた。
永井君の話では、成績が伸びる生徒さんは素直で、そうでない生徒は、試験直前の授業をさぼったり、急に自分で勉強すると言い出したりするとのことだった。
塾は生徒が一人ではできない勉強の場を提供し、成績を高める場所だ。
そこで教える先生たちはもちろん、生徒の何倍もの知識と経験を持っている。
だから、試験が不安であればあるほど、塾に頼るのが当然だろう。
ところが、伸びない生徒はそうは考えないらしいのである。
「分かってないなぁ、と思います」
永井君が残念そうにそう言った時、私は毎年の就活コースで落ち続けて来なくなる学生のことを思った。
就活コースは就職の塾のような場所だが、やはり結果を出す学生は、とにかく欠席しない。
面接対策も、自分の志望業界や興味のある業界ならやるという態度ではなく、とにかく全部来る。
そして、私や大月さんが「大事」だと言う読書合宿や講座にも出席する。
面接は何も「就活で一夜漬け」のようなアクロバットではなく、平素の学生を確認する場にすぎないので、受かる学生ほど、「就活だから」、「面接だから」などという動機付けはしない。
就活を理由に他のことに手を抜く自分が嫌で、就活だけでなく、授業もバイトも頑張っている。
就活だからといって、何も特別なことはないのだ。
もちろん、今までの学生生活と違って「企業」というものと向き合うし、未経験の作業もいくらかあるため、最初はそれなりに緊張して不安も抱くが、だからといって迷ったりはしない。
経験者や先輩のアドバイスも素直に聞くし、聞いて勉強になると思えばすぐに取り入れ、真似する。
一方、落ち続ける学生は気分が乗らなければ来ないし、欠席した回に既に話していたことを、一ヶ月くらい遅れて質問してくる。
相手は小学生や中学生ではないのだ。
大学生だ。
私は、欠席して大事な回を聞き逃してほしくないから、いっそのこと「おまえ、絶対休むなよ!」と言おうと思ったことは、それこそ何十回もあるが、大学生相手にそこまで言うのはどうかと思って、言葉を飲み込む。
来た時はそれなりに感動している。
だから次も来てくれるか、と期待する。
しかし、来ない。
また来る時は、「持ち駒ゼロになりました…」。
「分かってないなぁ」
と思わずにはいられない。
しかし私は、FUNでもmai placeでも強制はしない。
強制すれば来させる自信もあるし、来ないことへの恐怖感を煽るのも簡単だ。
しかし、私はそんなのは嫌だ。
私の方にも、ずっと行き続けて学ぶ価値のある講義はできていないのかもしれない、と反省材料を持っておくのは大切だと思うし、自然に全員が来続けるようになるまで自分を高める努力もしたい。
しかし、それにしても、このままじゃ受かりっこないと分かりきっている学生を見ていて、「絶対来い!」と言えないのはもどかしい。
mai placeは仕事だ。
仕事なら、預かったお客様の結果を出すのは当然だ。
だが、受からない学生に限って、自分は能力があるし、案外捨てたものじゃないと思っていたりするのだ。
そういう学生ほど、「今度、面接対策しようか?」と持ちかけると「来週、いとこの子供が遊びに来るんで…」などと言う。
分かってない。
まぁ、本人にとっては、「いつでもできること」と「今やらなければならないこと」の区別の基準は、そんなものなのだろう。
そう思えば、危機感が低いことにも頷ける。
しかし、「じゃあ、面接が不安とか言うな」とも思う。
そこに質問できる人がいて、そこに使える時間的余裕があって、そこに既に内定した人がいて、そこに必要な対策が打てる機会があって、どうしてそれを選択せず、「不安」だと言うのだろうか。
いつもテレビゲームをやっている人間が、「入試が不安なんです」と言っているようなものではないか。
私は人格を尊重する人間だ。
相手の人生観を強制的に変えてまでサービスを提供しようとは思わない。
だから、ほぼ無料の就活コースと有料の新人コースではかなりの格差を設けている。
別に500円だから手を抜くなどということはしないが、就活コースでは教えられないことがあるのだ。
来たり休んだりの学生と、ずっと来続ける学生とでは、教えられることが違うのだ。
そんなのは、野球部もサッカー部も一緒ではないか。
最近はさりげなく個別フォローの機会を作ってみたり、就活の目的別対策を考えたりして、少しずつ接点を作っているが、なんとももどかしい限りだ。
学校なら「成績が悪い奴は居残って補習だ」と言えば済むのだろう。
しかし、大した成長もないまま、再度面接に臨む学生たちを見るのはかわいそうだ。
悲しいが、私の面接の予測はよく当たる。
私が心配しているのは、結果が出ていない学生以上に、「出そうにない学生」だ。
どこにも頼るところがなくなって、mai placeに来てくれたのだろう。
そう考えれば、有り難いことではないか。
明日は大月さんとmp6にこのことを話してみよう。
ちなみに、ドトールのBCでは植村さんも一緒だった。
そこでは、植村さんの子供の頃の話を聞いた。
なんでも、子供会の遠足か何かで、切符代をちょろまかす大人がいたらしいのだ。
その日の文献は「みあと志たひて」の『責任観念の権化』だったので、欧米人と日本人の責任感を比べて語り合っていたのだが、「今も日本は変わらないのかな」とちょっと寂しげな語り口だった。
そんな植村さんの話から、私の昔の地元で、永井君が今住んでいる場所とも近いJR天拝山駅の話になった。
あの駅は、今はどうか知らないが、私が住んでいた当時は、夜8時くらいになると無人駅になっていた。
私は二日市で降りていたのだが、夜は無人になるからと、わざわざ天拝山駅で降りている知人がいた。
それで片道約100円、月に数千円くらい得しているらしい。
博多よりもっと遠い場所から来て降りれば、確かに目先の「得」は増えるだろう。
「ちょっと余計に歩くことさえ我慢すれば、得するんだぜ」。
とか言っていた。
しかし、そいつは多重債務者になった。
正規料金をケチるような奴がどれだけキセル行為で得したところで、所詮その程度の金銭感覚では、貯金すらできまい。
あの時キセルでケチったお金だって、どうせその後、缶ジュースにでもなったのだろう。
その後どうなったか知らないが、数百円の欲による損失は、その後何倍になったのだろうか。
ふと、そんなことを考えた。
就活でも、キセル乗車に似たようなことをやる学生もいる。
正当な負担なく、他人の経験の残りかすをうまく組み合わせてのその場しのぎを、さも「昔からそうでした」と言うような連中だ。
内定したらさっさと友達を見捨てるような学生が、どうして「私の長所は、感謝の気持ちを忘れないことです」などと言うのだろうか。
こういう連中も、いずれ多重債務者かそれに近い存在になるだろう。
私はmai placeに来てくれた学生からは、そんな若者を出したくない。
だからこそ、仕事や会社を真剣に学ぼうと言い続けている。
が、聞いてくれない学生もいる。
学生と、どの程度の線引きで接するべきか。
近現代の深い学びを通じて接する学生たちの姿があまりに素晴らしいだけに、最近は改めて、そんなことを考える。
ちょっと早く西新に着いて、庵道珈琲に行った。
実は、ドトールが閉店したことを忘れてそのままドトール方面に自然に歩いたのだったが、行ってみて、「そっか、閉店したんだっけ」と改めて思い出した。
あれだけ長く、何度も通ったお店だっただけに、体が勝手にドトールに向かったようである。
旧西新ドトールで最後にやったBCでは、永井君と同じ班だった。
そこで塾の面白い体験談を聞いた。
永井君の話では、成績が伸びる生徒さんは素直で、そうでない生徒は、試験直前の授業をさぼったり、急に自分で勉強すると言い出したりするとのことだった。
塾は生徒が一人ではできない勉強の場を提供し、成績を高める場所だ。
そこで教える先生たちはもちろん、生徒の何倍もの知識と経験を持っている。
だから、試験が不安であればあるほど、塾に頼るのが当然だろう。
ところが、伸びない生徒はそうは考えないらしいのである。
「分かってないなぁ、と思います」
永井君が残念そうにそう言った時、私は毎年の就活コースで落ち続けて来なくなる学生のことを思った。
就活コースは就職の塾のような場所だが、やはり結果を出す学生は、とにかく欠席しない。
面接対策も、自分の志望業界や興味のある業界ならやるという態度ではなく、とにかく全部来る。
そして、私や大月さんが「大事」だと言う読書合宿や講座にも出席する。
面接は何も「就活で一夜漬け」のようなアクロバットではなく、平素の学生を確認する場にすぎないので、受かる学生ほど、「就活だから」、「面接だから」などという動機付けはしない。
就活を理由に他のことに手を抜く自分が嫌で、就活だけでなく、授業もバイトも頑張っている。
就活だからといって、何も特別なことはないのだ。
もちろん、今までの学生生活と違って「企業」というものと向き合うし、未経験の作業もいくらかあるため、最初はそれなりに緊張して不安も抱くが、だからといって迷ったりはしない。
経験者や先輩のアドバイスも素直に聞くし、聞いて勉強になると思えばすぐに取り入れ、真似する。
一方、落ち続ける学生は気分が乗らなければ来ないし、欠席した回に既に話していたことを、一ヶ月くらい遅れて質問してくる。
相手は小学生や中学生ではないのだ。
大学生だ。
私は、欠席して大事な回を聞き逃してほしくないから、いっそのこと「おまえ、絶対休むなよ!」と言おうと思ったことは、それこそ何十回もあるが、大学生相手にそこまで言うのはどうかと思って、言葉を飲み込む。
来た時はそれなりに感動している。
だから次も来てくれるか、と期待する。
しかし、来ない。
また来る時は、「持ち駒ゼロになりました…」。
「分かってないなぁ」
と思わずにはいられない。
しかし私は、FUNでもmai placeでも強制はしない。
強制すれば来させる自信もあるし、来ないことへの恐怖感を煽るのも簡単だ。
しかし、私はそんなのは嫌だ。
私の方にも、ずっと行き続けて学ぶ価値のある講義はできていないのかもしれない、と反省材料を持っておくのは大切だと思うし、自然に全員が来続けるようになるまで自分を高める努力もしたい。
しかし、それにしても、このままじゃ受かりっこないと分かりきっている学生を見ていて、「絶対来い!」と言えないのはもどかしい。
mai placeは仕事だ。
仕事なら、預かったお客様の結果を出すのは当然だ。
だが、受からない学生に限って、自分は能力があるし、案外捨てたものじゃないと思っていたりするのだ。
そういう学生ほど、「今度、面接対策しようか?」と持ちかけると「来週、いとこの子供が遊びに来るんで…」などと言う。
分かってない。
まぁ、本人にとっては、「いつでもできること」と「今やらなければならないこと」の区別の基準は、そんなものなのだろう。
そう思えば、危機感が低いことにも頷ける。
しかし、「じゃあ、面接が不安とか言うな」とも思う。
そこに質問できる人がいて、そこに使える時間的余裕があって、そこに既に内定した人がいて、そこに必要な対策が打てる機会があって、どうしてそれを選択せず、「不安」だと言うのだろうか。
いつもテレビゲームをやっている人間が、「入試が不安なんです」と言っているようなものではないか。
私は人格を尊重する人間だ。
相手の人生観を強制的に変えてまでサービスを提供しようとは思わない。
だから、ほぼ無料の就活コースと有料の新人コースではかなりの格差を設けている。
別に500円だから手を抜くなどということはしないが、就活コースでは教えられないことがあるのだ。
来たり休んだりの学生と、ずっと来続ける学生とでは、教えられることが違うのだ。
そんなのは、野球部もサッカー部も一緒ではないか。
最近はさりげなく個別フォローの機会を作ってみたり、就活の目的別対策を考えたりして、少しずつ接点を作っているが、なんとももどかしい限りだ。
学校なら「成績が悪い奴は居残って補習だ」と言えば済むのだろう。
しかし、大した成長もないまま、再度面接に臨む学生たちを見るのはかわいそうだ。
悲しいが、私の面接の予測はよく当たる。
私が心配しているのは、結果が出ていない学生以上に、「出そうにない学生」だ。
どこにも頼るところがなくなって、mai placeに来てくれたのだろう。
そう考えれば、有り難いことではないか。
明日は大月さんとmp6にこのことを話してみよう。
ちなみに、ドトールのBCでは植村さんも一緒だった。
そこでは、植村さんの子供の頃の話を聞いた。
なんでも、子供会の遠足か何かで、切符代をちょろまかす大人がいたらしいのだ。
その日の文献は「みあと志たひて」の『責任観念の権化』だったので、欧米人と日本人の責任感を比べて語り合っていたのだが、「今も日本は変わらないのかな」とちょっと寂しげな語り口だった。
そんな植村さんの話から、私の昔の地元で、永井君が今住んでいる場所とも近いJR天拝山駅の話になった。
あの駅は、今はどうか知らないが、私が住んでいた当時は、夜8時くらいになると無人駅になっていた。
私は二日市で降りていたのだが、夜は無人になるからと、わざわざ天拝山駅で降りている知人がいた。
それで片道約100円、月に数千円くらい得しているらしい。
博多よりもっと遠い場所から来て降りれば、確かに目先の「得」は増えるだろう。
「ちょっと余計に歩くことさえ我慢すれば、得するんだぜ」。
とか言っていた。
しかし、そいつは多重債務者になった。
正規料金をケチるような奴がどれだけキセル行為で得したところで、所詮その程度の金銭感覚では、貯金すらできまい。
あの時キセルでケチったお金だって、どうせその後、缶ジュースにでもなったのだろう。
その後どうなったか知らないが、数百円の欲による損失は、その後何倍になったのだろうか。
ふと、そんなことを考えた。
就活でも、キセル乗車に似たようなことをやる学生もいる。
正当な負担なく、他人の経験の残りかすをうまく組み合わせてのその場しのぎを、さも「昔からそうでした」と言うような連中だ。
内定したらさっさと友達を見捨てるような学生が、どうして「私の長所は、感謝の気持ちを忘れないことです」などと言うのだろうか。
こういう連中も、いずれ多重債務者かそれに近い存在になるだろう。
私はmai placeに来てくれた学生からは、そんな若者を出したくない。
だからこそ、仕事や会社を真剣に学ぼうと言い続けている。
が、聞いてくれない学生もいる。
学生と、どの程度の線引きで接するべきか。
近現代の深い学びを通じて接する学生たちの姿があまりに素晴らしいだけに、最近は改めて、そんなことを考える。
2009年5月19日火曜日
3DCG
水木金土日月と講義が続いてきて、今日は久しぶりの休みだった。
ということで、今日は一日中shadeの練習をした。
前々からゆっくり時間を取って練習したかったので、今日は身近なものから作ってみようと、携帯電話を作ってみた。
二、三時間やっていて慣れたが、身の回りの物体の裏にX、Y、Zのマニピュレータが見えてくるようだ。
夜は車を作ってみようと思うのだが、こちらはガラスやゴムなどもあるので、携帯電話よりもずっと複雑だろう。
いざ自分で作ってみて、shade explorerでプロの作品のサンプルを見てみると、やっぱりすごい。
CGの人間は無機質な感じがしていたが、それでもプロはよく人間を見ている。
今日ほどじっくり、ゆっくり、携帯を見た日があっただろうか。
小林秀雄の「美を求める心」を思い出さずにはいられなかった。
弟が建設業なので、建造物や工業品のデザインは少しなじみがあるのだが、それにしても、作る側になると本当に大変だ。
永井君も来年からは、自動車のエンジンで様々なシミュレーションをやっていくのかもしれない。
私は工業品やゲームなど、このソフトの主要な目的物を作ることはあまりないだろうが、練習には精密機械がもってこいだと思った。
まだ、手の中にマウスがある気がする。
私はファイナルファンタジーのような映像を作って、職業教育の映画みたいなものを手がけたい。
3DCGを作っていると、魅力的な背景を設定したくなるものだ。
shadeと同じ会社が作っている「Vue」が欲しいのだが、私のような素人にはまだまだ高いので、
terragen 2
をダウンロードして使ってみた(使い方)。
こちらは壮大な自然を作るソフトだ。
全部英語だが、こちらも勉強になる。
mai placeのオリジナル映画を作れたら、どれだけ販促に役立つだろうかと思っている。
最近、ネットブックの強化に余念がない山岡君のために、いくつかソフトを紹介しておきたい。
もう知っているかもしれないが…。
無料3DCGソフトの「メタセコイア」と「ブレンダー」のサイトだ。
■metasequoia ダウンロードサイト
(無償版LE R2.4)
■メタセコイアの使用方法
■blender ダウンロードサイト
2Dはイラストのデザインだが、3Dは写真撮影や建築という感じだ。
ちょっとやってみて、飛鳥時代の宮大工たちは超人なのではないかと思えてきた。
映画ができる日を目指して、コツコツ練習を重ねていこう。
近現代と学生
今日から営業塾・第8期が始まったのだが、部屋に入ると上村君と山岡君が「大東亜戦争とスターリンの謀略」の衝撃を語り合っていた。
二人とも、一日25時間、週に8日は一緒にいるくらい仲がいいので、私の聞いた部分はほんの一部かもしれないが、それにしても驚いたようだ。
おそらく、本という本の中で、あれほどショッキングな内容を持つ本はほとんどないのではないだろうか。
しばらくたって、今週見学に来るという竹内君が、「あれ、なんですか?」と驚いていた。
落ち着いて丁寧な竹内君もまた、びっくりたまげたようだ。
思わず、近現代史勉強会が始まった時の石橋君や、それを受け継いだ濱山君たちの表情を思い出した。
近現代の文献は、衝撃の度合いや希少性で選んでいるわけではないが、例年、共産主義の恐ろしさにはどの学生も背筋が凍る思いがするようだ。
文豪・堤君はどう感じたのだろうか。
歴史や文学に対して学生らしからぬ深い素養を持つだけに、感想が気になるところだ。
営業塾が終わって、長崎から戻ってきた池田君と会った。
池田君はまだ読んでなかったようだが、代わりに、以前から探していた「共産主義批判の常識」を手に入れたようで、なんと、全部を通読して、今が二回目だという。
しかも、「面白さが分かるようになった」と言っていた。
これは、すごいことだ。
チャーチルは「20歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りぬ。20歳を過ぎても共産主義にかぶれている者は知能が足りぬ」と言ったが、私もそう思う。
ヨーロッパでは、共産主義を内から剔抉できるかどうかが、その人の知性を判別する一つの条件となったようだが、それも頷ける気がする。
私も大体、歴史や古典に対する素養、つまり国語力で相手と分かち合う話題の質を決めている。
学生とはざっくばらんに話すが。
東洋なら、主観と客観の問題は儒教や仏教で深く論じられているし、マルクス、レーニンの主張は道元、親鸞とは全く逆だ。
自己を客観視できるかどうかを判定するのに、仏教の経典は非常に有益だが、悪い素材を以て判定するのなら、共産主義の文献は非常に有益だ。
だから、「共産主義批判の常識」が面白いという学生を見ると、考えを共有できるという以上に、きちんと文字、文章を読めているのだなと感心する。
今日の池田君の話を聞いたら、原田君、増田君、大津君がどれだけ喜んだだろうか。
松下さん、諌山君、竹中君がどれだけ喜んだだろうか。
そもそも、私が職業教育を志した直接的原因は、父が仕事がうまくいかずに亡くなったからだ。
だから、「仕事」というものにとても興味があった。
また、歴史に興味を持ったのは、祖父母、父、叔母が相次いで早いうちに亡くなり、自分のルーツを知る手立てを失ってしまったからだ。
この喪失感は並大抵のものではなかった。
だから私は、一人で、父の生きていた時代のことを調べ始めた。
最初はそれが最も大きなきっかけだ。
学校の歴史など、どうでもよかった。
私はただ、父が生きた時代のことを知りたかった。
調べていくにつれ、父の生きた時代は「社会主義」が一つの大きなテーマだったことを感じないわけにはいかなかった。
子供の頃、父と叔父がいろいろと言い合っていたことも思い出した。
父が生きていたら語り合いたいことを、今、学生たちと語り合っている。
これはこれで、幸せなことだ。
歴史や就職、会計、営業、何を語っても全て人生と結びついてしまうのは、私が昔からそういう位置づけで勉強してきたからだ。
学んだからには結果を出さなければならない境遇でずっと生きてきたからだ。
唯物史観の研究から財務諸表や法人営業を説明するなんてアクロバットをやっているのは、日本で私以外にいないのではないかと思っている。
私は学校を出ないですぐに働いたから、実社会の経験から物を考え、後から理論を学んだ。
だから、自分の講義はサロンや論壇では語られない卑俗な現実の話が多い。
どんな話でも、一切専門用語を使わずに説明することができるようになったのは、ゼロから自分で全て学んできたからだと思う。
15年以上の遠回りは、思い返せば長い道のりだったが、最近は経験と独学が相乗効果をもたらしてきたことを如実に実感している。
あとは、当時の私より有能で熱心な学生たちが社会に出て、FUNやmpの学びの威力を証明してくれるだろう。
有望な教え子たちと有能な仲間に囲まれて、本当に幸せだ。
しかし、まだまだ全ては始まったばかり。
本当にやりたいことは、40歳くらいから始まる予定だ。
あと6、7年、しっかりと人材を育てていこう。
二人とも、一日25時間、週に8日は一緒にいるくらい仲がいいので、私の聞いた部分はほんの一部かもしれないが、それにしても驚いたようだ。
おそらく、本という本の中で、あれほどショッキングな内容を持つ本はほとんどないのではないだろうか。
しばらくたって、今週見学に来るという竹内君が、「あれ、なんですか?」と驚いていた。
落ち着いて丁寧な竹内君もまた、びっくりたまげたようだ。
思わず、近現代史勉強会が始まった時の石橋君や、それを受け継いだ濱山君たちの表情を思い出した。
近現代の文献は、衝撃の度合いや希少性で選んでいるわけではないが、例年、共産主義の恐ろしさにはどの学生も背筋が凍る思いがするようだ。
文豪・堤君はどう感じたのだろうか。
歴史や文学に対して学生らしからぬ深い素養を持つだけに、感想が気になるところだ。
営業塾が終わって、長崎から戻ってきた池田君と会った。
池田君はまだ読んでなかったようだが、代わりに、以前から探していた「共産主義批判の常識」を手に入れたようで、なんと、全部を通読して、今が二回目だという。
しかも、「面白さが分かるようになった」と言っていた。
これは、すごいことだ。
チャーチルは「20歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りぬ。20歳を過ぎても共産主義にかぶれている者は知能が足りぬ」と言ったが、私もそう思う。
ヨーロッパでは、共産主義を内から剔抉できるかどうかが、その人の知性を判別する一つの条件となったようだが、それも頷ける気がする。
私も大体、歴史や古典に対する素養、つまり国語力で相手と分かち合う話題の質を決めている。
学生とはざっくばらんに話すが。
東洋なら、主観と客観の問題は儒教や仏教で深く論じられているし、マルクス、レーニンの主張は道元、親鸞とは全く逆だ。
自己を客観視できるかどうかを判定するのに、仏教の経典は非常に有益だが、悪い素材を以て判定するのなら、共産主義の文献は非常に有益だ。
だから、「共産主義批判の常識」が面白いという学生を見ると、考えを共有できるという以上に、きちんと文字、文章を読めているのだなと感心する。
今日の池田君の話を聞いたら、原田君、増田君、大津君がどれだけ喜んだだろうか。
松下さん、諌山君、竹中君がどれだけ喜んだだろうか。
そもそも、私が職業教育を志した直接的原因は、父が仕事がうまくいかずに亡くなったからだ。
だから、「仕事」というものにとても興味があった。
また、歴史に興味を持ったのは、祖父母、父、叔母が相次いで早いうちに亡くなり、自分のルーツを知る手立てを失ってしまったからだ。
この喪失感は並大抵のものではなかった。
だから私は、一人で、父の生きていた時代のことを調べ始めた。
最初はそれが最も大きなきっかけだ。
学校の歴史など、どうでもよかった。
私はただ、父が生きた時代のことを知りたかった。
調べていくにつれ、父の生きた時代は「社会主義」が一つの大きなテーマだったことを感じないわけにはいかなかった。
子供の頃、父と叔父がいろいろと言い合っていたことも思い出した。
父が生きていたら語り合いたいことを、今、学生たちと語り合っている。
これはこれで、幸せなことだ。
歴史や就職、会計、営業、何を語っても全て人生と結びついてしまうのは、私が昔からそういう位置づけで勉強してきたからだ。
学んだからには結果を出さなければならない境遇でずっと生きてきたからだ。
唯物史観の研究から財務諸表や法人営業を説明するなんてアクロバットをやっているのは、日本で私以外にいないのではないかと思っている。
私は学校を出ないですぐに働いたから、実社会の経験から物を考え、後から理論を学んだ。
だから、自分の講義はサロンや論壇では語られない卑俗な現実の話が多い。
どんな話でも、一切専門用語を使わずに説明することができるようになったのは、ゼロから自分で全て学んできたからだと思う。
15年以上の遠回りは、思い返せば長い道のりだったが、最近は経験と独学が相乗効果をもたらしてきたことを如実に実感している。
あとは、当時の私より有能で熱心な学生たちが社会に出て、FUNやmpの学びの威力を証明してくれるだろう。
有望な教え子たちと有能な仲間に囲まれて、本当に幸せだ。
しかし、まだまだ全ては始まったばかり。
本当にやりたいことは、40歳くらいから始まる予定だ。
あと6、7年、しっかりと人材を育てていこう。
2009年5月14日木曜日
昨日の近現代
4年目を迎えた近現代史勉強会。
今年は2~4年生が揃っており、今月は「文献と丁寧に向き合おう」というテーマを掲げてやっている。
単位にも資格にもならない地味な勉強会だが、本物の学力を鍛えるには、こういう遠回りしかない。
いずれ、無意識のうちに読書力が高まっていることを実感するのではないだろうか。
さて、昨日は近現代ではおなじみの尾崎秀実が出てきた。
私はこの人物のことをかなり調べた経験がある。
敗戦直後に出された獄中手記も持っているし、評伝、関連資料もけっこう持っている。
私が知った歴史上の人物の中で、これほど不可解な人物はいない。
初めて知ったのは今の学生と変わらないくらいの年齢の時だったが、とにかく驚いたものだ。
なぜか。
それは、「負けるための戦争」を「聖戦」と偽装して祖国を裏切ったからだ。
そう言えば、私が働いていたマレーシアの国軍は10万人もいなかった。
自衛隊も20万人ほどだ。
それが、戦時中の帝国陸軍は、700万人もの軍人を抱えていたという。
もちろん、全員が正規の装備、正規の報酬ではなかっただろうが、単純比較だけでも気の遠くなるような数字だ。
これだけの軍隊の生活、進軍、物流、戦闘を支える国家の経済は、統制経済でなければやっていけないだろう。
その陸軍のうち、最精強の巨大部隊が、満洲の関東軍だった。
もちろん、ソ連に備えるためである。
それがどうしたことか、わが国は真珠湾とシンガポールを攻撃した。
シンガポールには海外勤務中に何度も行ったが、上陸するたびに、歴史のことをあれこれ考えたものだ。
シンガポールからジョホール、マラッカ、クラン…と北西に走る景色からは、世界一交通量が多いマラッカ海峡が一望できる。
博多湾や東京湾とは比べ物にならない光景だ。
この海域を支配できれば、巨大な勢力圏を築けただろう…などと思ってしまうほどだ。
さて、そんな旅情はよいとして、私が解せなかったのは、「日本が侵略目的で戦争を起こした」という歴史認識だった。
私は戦前、戦時中の日本人が聖人君子の集まりだとは思わないし、中には弱いものいじめが好きなひねくれ者もいただろうが、それにしても、どこをどう勉強しても、侵略という国策があったとは思えなかった。
それ以前に、戦後になっても戦争目的をめぐって議論が尽きないことが不思議だった。
東南アジアを支配して大東亜共栄圏を作るのが目的だったとは言っても、日本軍の戦略はかなり拙劣だ。
英米から植民地を解放するのが目的だったなら、それが果たされた昭和17年夏あたりで停戦していたはずだ。
戦争でも経営でもある行為には目的があって、それが果たされれば停戦、終戦、打ち止めにするのが普通だ。
それが、大東亜戦争はどうか。
敗戦に至るまで、客観的には停戦してもよさそうなタイミングはいくつかあったように見えるが、石油の備蓄が尽きても、ミッドウェーが落とされても、鉄がなくなっても、南太平洋や東南アジアを失っても、やめない。
植民地を解放しても戦争を続け、失っても戦争を続けた。
石油を確保しても停戦しなかったが、石油を失っても停戦しなかった。
日本人にも複雑怪奇に見えるこの戦争を、外国人が知った時に、「日本はどうしてあんな愚かな戦争をしたのか」と不思議がるのは当然だろう。
「愚かな」、「解せない」、「大変な」という評語は東欧やアフリカの人から少し聞いた。
それは、韓国人や中国人がわが国に優越感を持って言う場合の「愚か」とは違い、「道理では理解できない」という不可思議さの表明だった。
当時の私は、もちろん、何も答えられなかった。
要するに、戦時中のわが国は…。
英米に一撃を加えて有利な情勢に持ち込んでも、やめない。
東南アジアの植民地を解放しても、やめない。
資源を確保しても、やめない。
太平洋の拠点を奪われても、やめない。
植民地を失っても、やめない。
石油や鉄や弾薬が尽きても、やめない。
国内経済が疲弊しても、やめない。
沖縄に米軍が上陸しても、やめない。
原爆が一発落とされても、やめない。
国家を会社や個人に例えるのは規模も質も違いすぎるとは思うが、もし会社や個人で、こんなことをやる会社や人があれば、誰もその動機を知ることはできないだろう。
というより、破滅願望でもあるのではないか、と疑うはずだ。
敗戦後に戦争目的をめぐって議論が百出するのも当然だ、と思わずにはいられないほど、何のために戦争をしたのかがずっと分からなかった。
東南アジアの人が「日本」と聞いて連想するのは、ほとんどが自動車、家電、アニメ、そして戦争だ。
そして、日本の存在感は、我々が思っている以上に大きい。
世界で初めて、アルファベットを使わずに近代化した国家。
皇室の伝統を保ったまま、ハイテク工業で世界を席巻する国家。
奇想天外なアニメで世界中の子供たちを魅了する国家。
日本人の印象は「頭が良くお人よしで、ちょっとおっちょこちょい」というものだろうか。
だからこそ、そんな日本人が数十年前、どうにも理解できない戦争をしたのが不可解、という様子だった。
私もなるべく、友人の質問に答えてあげたかったのだが、こればかりは説明することができなかった。
私も日本人だから、祖先や祖国を否定するようなことを断言したくはなかったが、肯定できる理由もなかった。
さりとて、否定しきってしまうのは嫌だった。
勝ったら正しいとも言いたくないし、負ければ間違いだったとも言いたくない。
なんとももどかしい期間だった。
それが氷解した思いがしたのが、尾崎秀実の存在を知った時だった。
私は陰謀論や謀略論は嫌いだし、それだけで近現代史を片付けようなどというつもりは全くないが、それにしても、わが国の歴史からは社会主義の視点がすっぽり抜け落ちていることを感じずにはいられなかった。
マレーシアやタイでは、「共産ゲリラの脅威」は当時も現実のものだったし、どちらもイスラム教、仏教の信仰が篤いだけに、共産主義への嫌悪感は相当なものだった。
私が一般的な日本人には見えない心理が見えるようになったのは、一つは英語、韓国語、マレー語、インドネシア語を操れることにあるが、もう一つは、20歳で外国で働くという体験から、2年近くもどかしさを腹中にためこんでいたためだと思う。
とにかくもどかしい日々だった。
あの潜在的助走期間がなければ、帰国してむさぼるように歴史の本を買い、読みまくることはなかっただろう。
その尾崎秀実の本を、来週の近現代で今年も読む。
諌山君の理解力は大したものだ。
佐藤さんの洞察力も並外れている。
畑井さんの質問の着眼点は深く素直だし、四本さんの姿勢は誠実でおおらかだ。
みんな、一度では分からない本を何度も丁寧に読んでくれる。
私はその姿勢が、何より嬉しい。
来週の近現代はどうなるだろう。今からとても楽しみだ。
濱山君、松下さん、竹中君たちがこの光景を見たら、何よりの心の支えになるのではないだろうか。
今年は2~4年生が揃っており、今月は「文献と丁寧に向き合おう」というテーマを掲げてやっている。
単位にも資格にもならない地味な勉強会だが、本物の学力を鍛えるには、こういう遠回りしかない。
いずれ、無意識のうちに読書力が高まっていることを実感するのではないだろうか。
さて、昨日は近現代ではおなじみの尾崎秀実が出てきた。
私はこの人物のことをかなり調べた経験がある。
敗戦直後に出された獄中手記も持っているし、評伝、関連資料もけっこう持っている。
私が知った歴史上の人物の中で、これほど不可解な人物はいない。
初めて知ったのは今の学生と変わらないくらいの年齢の時だったが、とにかく驚いたものだ。
なぜか。
それは、「負けるための戦争」を「聖戦」と偽装して祖国を裏切ったからだ。
そう言えば、私が働いていたマレーシアの国軍は10万人もいなかった。
自衛隊も20万人ほどだ。
それが、戦時中の帝国陸軍は、700万人もの軍人を抱えていたという。
もちろん、全員が正規の装備、正規の報酬ではなかっただろうが、単純比較だけでも気の遠くなるような数字だ。
これだけの軍隊の生活、進軍、物流、戦闘を支える国家の経済は、統制経済でなければやっていけないだろう。
その陸軍のうち、最精強の巨大部隊が、満洲の関東軍だった。
もちろん、ソ連に備えるためである。
それがどうしたことか、わが国は真珠湾とシンガポールを攻撃した。
シンガポールには海外勤務中に何度も行ったが、上陸するたびに、歴史のことをあれこれ考えたものだ。
シンガポールからジョホール、マラッカ、クラン…と北西に走る景色からは、世界一交通量が多いマラッカ海峡が一望できる。
博多湾や東京湾とは比べ物にならない光景だ。
この海域を支配できれば、巨大な勢力圏を築けただろう…などと思ってしまうほどだ。
さて、そんな旅情はよいとして、私が解せなかったのは、「日本が侵略目的で戦争を起こした」という歴史認識だった。
私は戦前、戦時中の日本人が聖人君子の集まりだとは思わないし、中には弱いものいじめが好きなひねくれ者もいただろうが、それにしても、どこをどう勉強しても、侵略という国策があったとは思えなかった。
それ以前に、戦後になっても戦争目的をめぐって議論が尽きないことが不思議だった。
東南アジアを支配して大東亜共栄圏を作るのが目的だったとは言っても、日本軍の戦略はかなり拙劣だ。
英米から植民地を解放するのが目的だったなら、それが果たされた昭和17年夏あたりで停戦していたはずだ。
戦争でも経営でもある行為には目的があって、それが果たされれば停戦、終戦、打ち止めにするのが普通だ。
それが、大東亜戦争はどうか。
敗戦に至るまで、客観的には停戦してもよさそうなタイミングはいくつかあったように見えるが、石油の備蓄が尽きても、ミッドウェーが落とされても、鉄がなくなっても、南太平洋や東南アジアを失っても、やめない。
植民地を解放しても戦争を続け、失っても戦争を続けた。
石油を確保しても停戦しなかったが、石油を失っても停戦しなかった。
日本人にも複雑怪奇に見えるこの戦争を、外国人が知った時に、「日本はどうしてあんな愚かな戦争をしたのか」と不思議がるのは当然だろう。
「愚かな」、「解せない」、「大変な」という評語は東欧やアフリカの人から少し聞いた。
それは、韓国人や中国人がわが国に優越感を持って言う場合の「愚か」とは違い、「道理では理解できない」という不可思議さの表明だった。
当時の私は、もちろん、何も答えられなかった。
要するに、戦時中のわが国は…。
英米に一撃を加えて有利な情勢に持ち込んでも、やめない。
東南アジアの植民地を解放しても、やめない。
資源を確保しても、やめない。
太平洋の拠点を奪われても、やめない。
植民地を失っても、やめない。
石油や鉄や弾薬が尽きても、やめない。
国内経済が疲弊しても、やめない。
沖縄に米軍が上陸しても、やめない。
原爆が一発落とされても、やめない。
国家を会社や個人に例えるのは規模も質も違いすぎるとは思うが、もし会社や個人で、こんなことをやる会社や人があれば、誰もその動機を知ることはできないだろう。
というより、破滅願望でもあるのではないか、と疑うはずだ。
敗戦後に戦争目的をめぐって議論が百出するのも当然だ、と思わずにはいられないほど、何のために戦争をしたのかがずっと分からなかった。
東南アジアの人が「日本」と聞いて連想するのは、ほとんどが自動車、家電、アニメ、そして戦争だ。
そして、日本の存在感は、我々が思っている以上に大きい。
世界で初めて、アルファベットを使わずに近代化した国家。
皇室の伝統を保ったまま、ハイテク工業で世界を席巻する国家。
奇想天外なアニメで世界中の子供たちを魅了する国家。
日本人の印象は「頭が良くお人よしで、ちょっとおっちょこちょい」というものだろうか。
だからこそ、そんな日本人が数十年前、どうにも理解できない戦争をしたのが不可解、という様子だった。
私もなるべく、友人の質問に答えてあげたかったのだが、こればかりは説明することができなかった。
私も日本人だから、祖先や祖国を否定するようなことを断言したくはなかったが、肯定できる理由もなかった。
さりとて、否定しきってしまうのは嫌だった。
勝ったら正しいとも言いたくないし、負ければ間違いだったとも言いたくない。
なんとももどかしい期間だった。
それが氷解した思いがしたのが、尾崎秀実の存在を知った時だった。
私は陰謀論や謀略論は嫌いだし、それだけで近現代史を片付けようなどというつもりは全くないが、それにしても、わが国の歴史からは社会主義の視点がすっぽり抜け落ちていることを感じずにはいられなかった。
マレーシアやタイでは、「共産ゲリラの脅威」は当時も現実のものだったし、どちらもイスラム教、仏教の信仰が篤いだけに、共産主義への嫌悪感は相当なものだった。
私が一般的な日本人には見えない心理が見えるようになったのは、一つは英語、韓国語、マレー語、インドネシア語を操れることにあるが、もう一つは、20歳で外国で働くという体験から、2年近くもどかしさを腹中にためこんでいたためだと思う。
とにかくもどかしい日々だった。
あの潜在的助走期間がなければ、帰国してむさぼるように歴史の本を買い、読みまくることはなかっただろう。
その尾崎秀実の本を、来週の近現代で今年も読む。
諌山君の理解力は大したものだ。
佐藤さんの洞察力も並外れている。
畑井さんの質問の着眼点は深く素直だし、四本さんの姿勢は誠実でおおらかだ。
みんな、一度では分からない本を何度も丁寧に読んでくれる。
私はその姿勢が、何より嬉しい。
来週の近現代はどうなるだろう。今からとても楽しみだ。
濱山君、松下さん、竹中君たちがこの光景を見たら、何よりの心の支えになるのではないだろうか。
脇山さんの講演録
昨日は赤坂で近現代史勉強会、天神でmai place「パワーアップセミナー②」が開催された。
私はもちろん、近現代に行ったが、動画編集は私の仕事だ。
さて、昨日の講師は、みんなが知っているイッツフォーマルの脇山さんだった。
講演を終えてベローチェで話した時、一緒に吉谷さんが来てくれて、とても懐かしかった。
吉谷さん、大月さん、脇山さん…。
2期生のこの三人と私だけのFUNゼミがあったことなどは、誰も想像さえできないのではないだろうか。
吉谷さんは相変わらずの様子で、取材や人と会うこと自体が楽しくて仕方ないようだった。
もっとも、何をしていても楽しそうで、本人は実はけっこう困っていることでも楽しそうで、そんな性格で得しているのか損しているのか分からない吉谷さんだが、この三人でしか出せない雰囲気があり、それが本当に懐かしかった。
次回③の講師は吉谷さんだそうだ。
テレビ局の仕事の話が、今からとても楽しみだ。
さてさて、昨日の脇山さんの話は…。
こちら。
それにしても、core i7、速すぎる…。
最近は毎回この話で、大月さんも「いい加減にしてくれ」と言わんばかりだが、大月さんも動画編集に慣れてくれば、必ずプロセッサの性能を考えるはずだ。
まぁ、そんな話は置いといて、脇山さんの温かく丁寧な話を聞いてほしい。
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.1
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.2
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.3
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.4
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.5
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.6
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.7
私はもちろん、近現代に行ったが、動画編集は私の仕事だ。
さて、昨日の講師は、みんなが知っているイッツフォーマルの脇山さんだった。
講演を終えてベローチェで話した時、一緒に吉谷さんが来てくれて、とても懐かしかった。
吉谷さん、大月さん、脇山さん…。
2期生のこの三人と私だけのFUNゼミがあったことなどは、誰も想像さえできないのではないだろうか。
吉谷さんは相変わらずの様子で、取材や人と会うこと自体が楽しくて仕方ないようだった。
もっとも、何をしていても楽しそうで、本人は実はけっこう困っていることでも楽しそうで、そんな性格で得しているのか損しているのか分からない吉谷さんだが、この三人でしか出せない雰囲気があり、それが本当に懐かしかった。
次回③の講師は吉谷さんだそうだ。
テレビ局の仕事の話が、今からとても楽しみだ。
さてさて、昨日の脇山さんの話は…。
こちら。
それにしても、core i7、速すぎる…。
最近は毎回この話で、大月さんも「いい加減にしてくれ」と言わんばかりだが、大月さんも動画編集に慣れてくれば、必ずプロセッサの性能を考えるはずだ。
まぁ、そんな話は置いといて、脇山さんの温かく丁寧な話を聞いてほしい。
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.1
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.2
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.3
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.4
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.5
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.6
■「仕事と人生を楽しむ 私の小さな心がけ」No.7
2009年5月12日火曜日
吉田さんとPC談義
卒業生と仕事の話をするのは何にも代え難い喜びだ。
今日はPC商社に勤めている吉田さんと、PCについて語り合ってきた。
吉田さんと二人で話すのはおそらく就活中の模擬面接以来というくらい久しぶりで、こういう話題で話すのが改めて面白いと思った。
RAIDやサーバーの話から始まって、最後はフリーソフトの話題になったが、ここで、FUNの学生からもよく聞かれるサイトをいくつか紹介しておこう。
■「ネットブック買ったけど、ワード、エクセルがなくて困ってる」という人へ
SUN microsystemsといえばStanford University Networkの略で、どこぞのサークルのようだが、アメリカの学生ベンチャーが起こした世界的企業だ。
そこが最近無償配布している「Openoffice」というソフトがあって、ワード、エクセル、パワーポイント、アクセスなどMicrosoftのオフィスソフトと互換性のある機能が全て使える。
レポートや卒論をワードで作りたいが、officeを買うのは高い、という方は使ったらどうだろうか。
ちなみに、今年からFUN、mai placeのレジュメも全てこれで作っている。
Openoffice
■フリーフォントを活用してドキュメントに彩りを加えたい、という方へ
フリーフォントのサイトは無数にあるが、以下の二つは和文、欧文ともにかなり使えて助かる。
【モトヤフォント】
【フォントマニアッカーズ】
■その他、かゆいところに手が届くアプリケーション
エントリーシートで「字数計算」があるが、リクナビやマイナビでは「書きながら、消えてしまった」ということが起こるだろう。
そんな時は、先にメモ帳で作った後、ここで字数を計算してみてはどうだろうか。
また、チラシを作る人は、問い合わせでアドレスを入力させるのは申し訳ないと感じるだろうから、ここでQRコードを作るといいと思う。
■その他のソフト
You Tubeなどの動画はFLV形式で作られているが、これをDLして編集したいという人は、FLVではなくWMV,AVI,MPEG,MOVなどに変換する必要がある。
そんな時は、VDownloader 0.82を使ってみてはどうだろうか。
隈本さんに紹介したら、かなり気に入っているようだ。
また、デジカメで取り込んだ写真をきれいに編集したいが、フォトショップを買うのは高い、と思っている方は、GIMPだとフォトショップ並みの機能を無料で使うこともできる。
フリーソフトなら昔から「VECTOR」を使っているが、最近は併せて「アルテック」も使っている。
目的別なら、ベクターより探しやすいかも。
最後に…PC買い替え時に「コア」や「スレッディング」という概念がよく分からない人は、インテルのこの動画がけっこう分かりやすいのではないだろうか。
■intel core i7プロセッサ
私は最近、目下shadeの練習ばかりしている。
これで講義が作れたら、どれだけ画期的だろうか。
講義だけでなく、映画やドキュメンタリーも作れるかもしれない。
■shade10.5
私は先んじて全てのソフトに詳しくなり、その使い方を全ての若者に教えていきたい。
FUNやmpの理念を共有した若者たちが、ITや会計の素養も身につけていけば、日本最大のクリエーター集団ができるのも時間の問題だ。
「アジアを代表するメディア財閥」を作るというのが、19歳で中退した時からの夢だ。
その夢も、ずいぶん叶えやすくなったと思う。
今月から福岡のOB会では主に営業の勉強をしていくが、ITも不可欠だ。
吉田さんたち6期生の意欲は素晴らしい。
みんなで協力して、何か面白いことを仕掛けたいものだ。
PCについて語り合いながら、いろんなビジネスチャンスを考えることができた良い時間だった。
今日はPC商社に勤めている吉田さんと、PCについて語り合ってきた。
吉田さんと二人で話すのはおそらく就活中の模擬面接以来というくらい久しぶりで、こういう話題で話すのが改めて面白いと思った。
RAIDやサーバーの話から始まって、最後はフリーソフトの話題になったが、ここで、FUNの学生からもよく聞かれるサイトをいくつか紹介しておこう。
■「ネットブック買ったけど、ワード、エクセルがなくて困ってる」という人へ
SUN microsystemsといえばStanford University Networkの略で、どこぞのサークルのようだが、アメリカの学生ベンチャーが起こした世界的企業だ。
そこが最近無償配布している「Openoffice」というソフトがあって、ワード、エクセル、パワーポイント、アクセスなどMicrosoftのオフィスソフトと互換性のある機能が全て使える。
レポートや卒論をワードで作りたいが、officeを買うのは高い、という方は使ったらどうだろうか。
ちなみに、今年からFUN、mai placeのレジュメも全てこれで作っている。
Openoffice
■フリーフォントを活用してドキュメントに彩りを加えたい、という方へ
フリーフォントのサイトは無数にあるが、以下の二つは和文、欧文ともにかなり使えて助かる。
【モトヤフォント】
【フォントマニアッカーズ】
■その他、かゆいところに手が届くアプリケーション
エントリーシートで「字数計算」があるが、リクナビやマイナビでは「書きながら、消えてしまった」ということが起こるだろう。
そんな時は、先にメモ帳で作った後、ここで字数を計算してみてはどうだろうか。
また、チラシを作る人は、問い合わせでアドレスを入力させるのは申し訳ないと感じるだろうから、ここでQRコードを作るといいと思う。
■その他のソフト
You Tubeなどの動画はFLV形式で作られているが、これをDLして編集したいという人は、FLVではなくWMV,AVI,MPEG,MOVなどに変換する必要がある。
そんな時は、VDownloader 0.82を使ってみてはどうだろうか。
隈本さんに紹介したら、かなり気に入っているようだ。
また、デジカメで取り込んだ写真をきれいに編集したいが、フォトショップを買うのは高い、と思っている方は、GIMPだとフォトショップ並みの機能を無料で使うこともできる。
フリーソフトなら昔から「VECTOR」を使っているが、最近は併せて「アルテック」も使っている。
目的別なら、ベクターより探しやすいかも。
最後に…PC買い替え時に「コア」や「スレッディング」という概念がよく分からない人は、インテルのこの動画がけっこう分かりやすいのではないだろうか。
■intel core i7プロセッサ
私は最近、目下shadeの練習ばかりしている。
これで講義が作れたら、どれだけ画期的だろうか。
講義だけでなく、映画やドキュメンタリーも作れるかもしれない。
■shade10.5
私は先んじて全てのソフトに詳しくなり、その使い方を全ての若者に教えていきたい。
FUNやmpの理念を共有した若者たちが、ITや会計の素養も身につけていけば、日本最大のクリエーター集団ができるのも時間の問題だ。
「アジアを代表するメディア財閥」を作るというのが、19歳で中退した時からの夢だ。
その夢も、ずいぶん叶えやすくなったと思う。
今月から福岡のOB会では主に営業の勉強をしていくが、ITも不可欠だ。
吉田さんたち6期生の意欲は素晴らしい。
みんなで協力して、何か面白いことを仕掛けたいものだ。
PCについて語り合いながら、いろんなビジネスチャンスを考えることができた良い時間だった。
2009年5月5日火曜日
PC買い替え
こんな話題で盛り上がれるのは、増田君と脇山さんくらいだろうが、PCを4年ぶりに買い換えた。
容量は外付けHDDドライブを付け足して乗り越えたものの、動画編集、レンダリング、3D、イラストレータなどでCPUの処理速度が限界を迎えていた。
今回は以前より買い替えの目的が明確だったので、事前にドスパラで入念にスペックを調べ、低予算で買い換えられるよう、あれこれシミュレーションしてみた。
そして昨日買ったのが…
■CPU intel core i7
■メモリ 3G
■HDD 2.75TB
■NVIDIA GeForce 9600
■モニタ 24インチワイド
の新PCだ。
これだけをNECや富士通で揃えたら、30万円はするだろうが、BTO形式のため、半額以下で済んだ。
早速、Video StudioのレンダリングやYou Tubeのアップロード、デジカメのmpegデータのやり取りを試してみた。
レンダリングは、700MBの動画でpentium4の約4倍速い。
以前は夜中の1時にレンダリングを開始して、朝7時に終わっていたが、新PCは1時間半で終わった。
アップロードはADSL回線のためさほどスペックの向上の成果は見られないが、若干早くなった。
というよりも、数本をアップしながら他の作業に何の支障もない。
驚いたのはデジカメで、買い替えのために保存していた先日のFUNゼミのデータ、つまり①大月さんの「ビジネスモデル塾」、井上さん、吉田さん、大津君、鶴田君、森川君、築地さんのスピーチ、計2.2Gのmpegデータの取り込みだ。
以前は録画で電池を使い切ったら、取り込み前に新しい電池に替えなければ持たないほど、取り込みに時間がかかった。1時間くらいだっただろうか。
この時間が嫌で、新しく電池を買ったものだ。
それが、新PCでは他の重い作業をしながらだったのに、10分で終わった。
core i7はクアッドコアのハイパースレッディング、つまり論理8コアであるため、同時並行でいくつもの作業をスムーズに行えるのが利点だ。
この機能をフルに生かすため、本当はi7 965でNVIDIAのquadroが良かったのだが、この二つだけで10万円は超える。
私くらいの技術では、そこまで込み入った動画やグラフィックは作らないので、作業環境のスピード改善だけに特化して、スペックを決めた。
今年度はmpチャンネルを大幅にバージョンアップさせ、福岡から就活の世論を変えるきっかけを作りたい。
あと5ヶ月で500本、つまり月100本、週20本だ。
このPCなら、釣りに行きながら楽々完成させられるのは間違いない。
それにしても、数年前までは速度に驚いたpentium4で、けっこう助かってきたのに、技術革新とはすごいものだ。
もう絶対、pentiumには戻りたくない。
mai placeを知った学生が、以前の学生生活に戻りたくないと揃って口にするのも、こんな気持ちなのだろうか。
連休明けからは、HP、mpチャンネル、通販サイトの3つを拡充させよう。
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